由緒

日蓮宗の古刹 妙顕寺

 長誓山 妙顕寺は、日蓮聖人在世の時代に創建された日蓮宗の古刹です。

 鎌倉時代、弘安三年(1280年)の創建以降、今日に至るまで740年以上続いています。

 寺山号である長誓山(ちょうせいざん)安立院(あんりゅういん)の名は、日蓮聖人より直々に賜りました。

 文永八年(1271年)、日蓮聖人が佐渡へ向かう途中、武州新倉の領主の隅田五郎(すだごろう)時光(ときみつ)は、難産で命の危険にさらされた妻のために聖人に助けを求めました。日蓮聖人が安産を祈願してお守りを渡すと、時光の妻の苦しみはなくなり元気な男子(徳丸)が生まれました。

 時光は日蓮聖人を信仰するようになり、弘安二年(1279年)に息子の徳丸とともに甲斐国(山梨県)身延山に登ります。父子共に出家して弟子となり、それぞれ日徳と日堅の法号を授与されました。

 翌年、時光は領地の新倉に戻って寺院を建立し、長誓山妙顕寺と日蓮聖人によって名づけられました。

 開山は、六老僧の一人である日向聖人であり、日徳と日堅がそれぞれ第二代と第三代の住職を務めました。

 上に記した縁起より、妙顕寺は古くから子安・安産の霊場として知られています。

 江戸時代には徳川鶴宣・頼房を産んだ「お万の方」(養珠院)の寺院建立に尽力したことにより、紀伊徳川家や水戸徳川家と浅からぬ縁がある寺として、しばしば寄進を受けました。

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